嫌われる勇気

少し前に嫌われる勇気という本が流行りましたね。

アドラー心理学の本でした。

私もこの本を読みましたがわかったようなわからなかったような。

いろんな人がYouTubeでこの本を解説していました。

今日またそれを解説したYouTubeがあがったので見てみました。

そしたら当時読んで何か引っ掛かるなあと思ったところがあったのだけどそのままにしていたものが今回分かりました。

課題の分離というところで親が子供に勉強しなさいという例を出して誰の課題なのかを決めなさい、その課題をやらなかった場合誰が困るのかを考えれば誰の課題かが分かるというものでした。この場合勉強をやらなければ困るのは子供だから子供の課題であり親の課題ではないので親は土足で子供に踏み込むなと言っていました。さすれば問題は起こらないと。ここの部分なんですね引っ掛かるのは。結論から言うと子供の課題であり親の課題であると思います。子供が変な風に育ったら親の責任を問われます。親の顔が見てみたいといわれます。そうなりたくないから子供に勉強しろと言うんだと思います。あなたのためよと言いながら自分のために言うのだと思います。それか理想の親像があってそれに自分を近づけたくていうのかもしれません。良くあなたのためよと言う人がいますが結局は自分のために言ってる場合がほとんどではないでしょうか。子供は子供親には関係ないという風潮だったらいいですが世間はそうではありません。ドライに割り切れる世の中ならそれは私の課題ではないとほったらかすこともできるでしょうが。

 

だから課題の分離と言うのは大変難しいと思うのです。責任の所在をはっきりさせないと日本はまだまだ全体責任連帯責任がありますから。

 

仕事でも思うけどどこまでが自分の責任でどこまでが違うのか曖昧な場合が多い。

確かにドライに割り切れば楽に生きれると思いますが。